松永家はどこから来たのだろうか。
松永家のIdentityは何だろうか。
そんな思いで、久しぶりの墓参りに行ってきました。
松永家のお墓、もともと存在していませんでした。
父がつくらなかったのです。
父の母、私にとっては祖母の遺骨がず~っと自宅に置かれていました。
母が、50年ほど前、父と相談しながらお墓をつくりました。
父は、日本全国どこにいてもすぐに集まれる日本のど真ん中にお墓をつくると言い、富士霊園にお墓を建立しました。宗教関係なく、社会的立場も関係のない、滅茶苦茶大きな霊園です。
御殿場、もう少し正確に言えば静岡県東部にある小山市にある霊園です。東京から距離で110Kmほど、東京-千倉間の距離とほぼ同じです。父はすぐに集まれるようにと言っていましたが、まあ遠い!1時間半ほど?東名高速道路の渋滞状態でかわりますが、年1回ほどしか墓参りができません。
近くには富士スピードウェイもあり、全国から車の愛好者が集まります。
この週末、娘のユメと早朝にお墓参りに行きました。
松永家には、オランダの血が流れているとのこと。私が16分の1、ユメは32分の1です。
お花見にはまだ早すぎますが、あと10日ほど、富士霊園の桜はスゴイですよ!
富士霊園からの提供映像です。「OMOIWA TOWANI」うまく流れるでしょうか。
渋滞は人生の無駄使い。と思っていますので、午前早めには東京に戻り、お花見を。
先ずは新宿御苑、しかし入場には予約がないとは入れないということで周囲を散策。
私が初めて東京進出したところが新宿御苑。門限付きの男子寮でした。
次に、日比谷公園に行きました。テレビでは桜が満開だと言っていましたが、寒の戻りがあったため桜咲く桜は満開、でも蕾ツボミの桜もたくさん残っており、今年の桜は長く咲くことになるでしょう。千倉の桜は東京より遅れますので、今度の週末が期待できます。
松永醫院の桜、千倉の桜の名所だと思います。
4月2日水曜日の午後、初めて松永醫院でお花見会を開く予定です。
ローストビーフをつくり、ピクルスもつくり、スタッフと思いの共有をしたいと思います。
春が来ました。気温が25℃を超え、夏かもしれません。スギ花粉さえなければ最幸です!
今週は桜の開花が始まり、この週末には桜満開になるのでしょう。
千倉は東京より開花が少し遅れますので、来週が千倉の桜満開となるのでしょう。
千倉の桜の名所、松永醫院の桜だと思います。2009年に松永醫院を移転、リニューアルオープンする際に、地主さんが植樹してくれた桜がきれいな花を咲かせてくれます。
松永醫院で初めての花見会を開こうと考えています。得意のローストビーフを食べてもらいましょう。
この週末、家族全員で千倉ステイを楽しみました。
土曜日、ラーメンのハシゴをしました。最近はラーメンを1杯食べると満腹でしたが、無理やり2杯食しました。最近のラーメンは1000円以上、ときには2000円ほどと高級品になっています。
日曜日は朝から会議が2件あり、地域の集まりとZOOMミーティングでした。
千倉に居ながら全国レベルの会議に参加でき、場合により同時間に二つ、三つの会議に参加できる便利で不思議な時代です。千倉から世界へ進出することも可能な時代となりました。
昼食はビリヤニ特製カレーを作り、新潟のへぎ蕎麦も食しました。
食後はシェスタをして、千倉の道の駅「潮風王国」へフラーと寄り、松永醫院で仕事。
介護保険の介護認定の準備をし、8Kmジョギングし、医師意見書を書き上げました。
娘のユメとココロと録画していたNHKプロフェッショナルで小児科医・公文和子先生の物語を観ました。日本から遠いケニアで、生まれてきたこと自体を否定される障害児とその家族に希望の光をあてる医療活動を、ユメとココロはどのように感じたのでしょうか。
長女のユメは、3Kmをジョギングしました。大学ではスキー部と卓球部に入っています。秋田県田沢湖でスキー大会に参加した後に夜行バスで戻って来て、八王子で卓球大会に参加しました。中華料理屋でバイトもしています。学生ならではの経験を積んでもらいましょう。
末娘のココロ、高校では制服がないのですが何故か制服を購入して新しい高校の準備をしています。片道2時間半とチョッと通学時間となりますが、通学バスの時間を上手く使い、たくさんの友人をつくり、子どもから大人になる3年間を実り多き青春時代にして下さい。
話は変わります。
ココロが受験するときに、ヒレカツとたこ焼きをたべさせました。オクトパス=置くとパス!そのタコがドンドン値上がっているそうです。日本人が食べているタコが美味しいと世界の人たちが気づいてしまったからのようです。タコが高級品に変わりつつあります。
大衆食べ物であるたこ焼きが悲鳴を上げているようです。タコが鰻上りに高くなっているので、さすがに鰻ではなくイカが代用されているそうです。イカも結構美味しいとのこと。
この現象、タコが困っているときのイカ様なのか、まさにイカサマなのか、微妙な所です。
3月、私の誕生月。
とうとう介護保険証が届きました。
年金受給の案内も届きました。
尊敬する先輩医師から「開業医にとって60代が一番脂の乗っている時」と助言をいただき、25年以上働いてきた東京の病院を辞めて千倉に集中して5年が経ちます。看護小規模多機能サービス「にこにこ」をつくり、地域包括支援センター「えがお」をつくりました。
これからは、町つくり、文化つくり、未来つくりです。
私の生業は地域医療、地域へ出て行き、地域の困りごとを解決することです。
いのちを守り、支える。そして、いつか来る「死」を受けとめ、豊かな最期をつくることです。
超高齢社会である日本の平均寿命は85歳。ということは、65歳まで生きてきた人の平均寿命は90歳となるでしょう。ちゃんと健康つくりをして、癌検診を受けている私は100歳まで生きるでしょう。つまり、必ず私はボケる。と、私は人生100年を設計しています。
65歳で年金をもらい始め、残り35年を年金受給者になる。つまり35年間、若者のお世話になることになります。こんな年金制度で健全な社会を保つことができるのだろうか。
仕事ができない最期の10年間ほどが年金受給するべき人だと思います。
高齢者にとって大切なことは、「きょういく」と「きょうよう」だそうです。
「きょういく」とは、今日行くところがあること。
「きょうよう」とは、今日用があること。
60歳代、70歳代、仕事をしている人の方が健康です。仕事が一番の薬なのです。
地域の中で、豊かなつながりをつくり、役割をもって、人のために生きることが大切。
そして、そこそこの給料のお小遣いをもらい、不足する年金の足しにすることが大切です。
65歳、高齢者の入り口。今の日本では間違いです。
肺炎で入院し、要介護状態になる危険性が高い年齢が高齢者。
高齢者の入り口は80歳だと考えています。
人生の3分の2が終わります。そして、残り3分の1の人生が始まります。
まだまだ、いける。まだまだ、がんばれる。
豊かな最期をめがけて、楽しい人生をつくろう。