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「覚悟の瞬間(とき)」(↓ クリック!)
覚悟の瞬間 医療法人社団優和会 松永平太

2023年11月24日(金)

いのちの流れ

今から50年前、60歳代で脳卒中になり右片麻痺、失語症。病院を退院する際、もう一度発作があったら命の保証はないと医師から告げられ、車いすで自宅へ帰りました。



医師と患者との会話

患者:「先生、自宅に帰ってお風呂に入っても良いですか?」
医師:「何かあったらどうするのですか。」
患者:「危険ですか。はい、やめときます。」



こんな退院間際の会話をしながら家に帰り、その晩に自宅の風呂に入って久しぶりのビールを飲む。そして、深呼吸をして生きている感触をつかむ。
病院はリスクを回避し、自由を奪う。自宅はリスクより生きがい、笑顔を求めます。

「スーパーに買い物に行っても良いですか?」という質問に
病院では、「何かあったどうするのですか。ダメです。」
自宅では、「じゃあ、ついでに餃子とワインを買ってきて!」

看取るために自宅に帰って来て、最期の訪問入浴になるかも、急変もあるかも。
「ご本人の気持ちが良いことは積極的にしましょう。良い思い出になりますからね。何かあったら、私がどうにか対処しますよ。大丈夫。」と優しく背中を押す。これ、私の役目。

病院にいたら「とても危険。清拭だけにしておきましょう。」となるでしょう。
自宅に帰り訪問入浴し、あんなにふくよかだった体が痩せて細くなってしまった。。。ほとんど食べられない、でも辛そうでもない。老衰という寿命で苦しむ人はいないです。



自宅で最期のひと時を家族と共に過ごすと、日に日に弱って行くことを実感します。弱って行く姿を見て、死への準備が始まるのです。誰にも訪れる死を受け入れる覚悟ができ、ご本人も感謝の言葉を回りに言い、周りも最後の親孝行を24時間毎日行うことができます。

病院、施設にいると、コロナ禍、面会人数、面会時間の制約があります。1時間も一緒に入れるでしょうか。仮に1時間いることができてもベッドのそばの椅子に座ってただボーっとご本人を見て時を過ごし、疲れ切ります。24時間のうちのたった1時間だけです。

自宅にいると、常に24時間毎日、最期の親孝行をすることができます。最期の1週間ぐらいは有給休暇を取ることができるでしょうし、在宅勤務をすることができれば普通通りに働きながら親の面倒も看ることができます。そしてすることは、ほとんどが見守り、ときどきオムツ交換。

自宅に居ると、友人、隣人がやって来て最期のお別れの言葉を交わします。
子供たち、孫たち、ひ孫たちもみんな集まりますので、毎日宴会。そして、ときどき息をしているかどうか見守るぐらいです。ご本人は、その話し声、笑い声を聞いて安心します。



最後の思い出をたくさん作ることが大切でしょう。そうすると、誰にもいつか訪れる死が、怖くなくなります。子としてやるべきことをすれば、満足死が待っています。ご本人は「いい人生だった!」、回りは「いい最期だった!」。そうすると、「死んでも生きている」世界が訪れてきます。

私は町医者、患者さんに「いい人生だった!」と最期に言わせたいです。
誰にも訪れる死が、病院、施設の白い壁に隠されて見えなくなり、怖いものになっています。もう一度、生きてきた自宅に戻り枯れて死んでいく姿をみせ、いのちの流れをみせたいと思います。


2023年11月13日(月)

0.7×1.5=1.05+α

私が高校を出て東京に初めて住んだのが、新宿2丁目。新宿3丁目が新宿伊勢丹のあるところで、2丁目は新宿御苑あたりになります。大学の紹介で住み始めたのですが、オカマの街、「カモーン!平ちゃん」と誘われる街。田舎から出てきた少年にとって、びっくりの街でした。

その新宿2丁目に久しぶりに行ってきました。以前からあるも行ったことのない和食屋さんで、遅めの昼ご飯を食べました。「玄海」というお店で、親子丼と自慢の鳥鍋を食しました。この鳥鍋の鳥スープ、メチャクチャ美味しかったです。思わず魂の深呼吸をしました。



私が二十歳のころ、痩せの大喰いでした。父に連れられて昼食のハシゴ、新宿中村でカリーを食し、登亭で鰻重を食し、熊本桂花ラーメンの太肉ラーメンをデザートで食べていました。そして、伊勢丹デパ地下で徘徊し、食品を買うことが私の思い出になっています。

そんな父から受け継いだDNAが、私の中にも浸み込んでおります。
閉店近くになると食品が3割引きになり、私の体の中にアドレナリンが分泌し始めます。
まだボトムではないと思いながら、必要なものの1.5倍ほどを購入してしまいます。

閉店間際の半額セールが始まるまで、ご主人様から「アンタ目立つから、うろうろしない方がいいよ」という助言をいただきながらデパ地下3周ほど徘徊。そして、ボトムである半額になったところを強靭なオバはんと闘いながらラストスパートで弁当を買ってしまう。。。



流石に、私も歳を取りました。デザートとして食べていたラーメンも、一人分をご主人様と分けながら食するようになりました。なので、スーパーにも、デパ地下にも極力行かないようにしています。新しくて品の良い食材を、定価で、適切な量を購入するのが良いかと思う現在です。



先週は、千倉中学2年生の子供たち8人が職場体験として松永醫院に来ました。
有難うと言ってくれる仕事、いのちにかかわる仕事の現場をお見せしました。ユニフォームを着て、潔らかな笑顔、挨拶で患者さんを癒していました。将来、一緒に仕事をしようね。



最後に、松永醫院前にある旧千倉こども園の利活用で第一優先交渉権を獲得しました。
プロ野球ドラフトのように、これから南房総市と交渉しながら契約することになります。
100年未来も生き残っている地域へ、南房総市と一緒になりながら未来を創ります。


2023年11月02日(金)

アンナ 2023

松永醫院は、南北に街がはしる南房総市千倉町の真ん中あたりに位置しています。
太平洋があり、港があり、街並みがあり、田んぼがあり、山へと連なっています。
海から山まで約200メートル、ギュギュっとコンパクトなコミュニティーとなっています。



その松永醫院の目の前に旧千倉こども園の建物が建っています。
津波が来て自分で逃げられない人は、車いすの高齢者と1歳ほどの歩けない子供たちです。
そのため、その千倉こども園は高台の方へ移転しました。



現在、旧千倉こども園の建物は空いており、その利活用の公募が南房総からでてエントリーしました。100年たっても生き残っている地域へのチャレンジが始まります。
本日、南房総市へ未来を創る利活用のプレゼンテーションを行います。気合が入ります。

さあ、私たちが選ばれるでしょうか。久しぶりにアドレナリンが分泌しています。
見事合格したら、この構想、思いをみなさんにお伝えしたいと思います。
乞うご期待!



我が松永家にとって大きなイベントは、この週末11月5日(日曜日)南総文化ホールで開かれるアンナバレエスタジオの発表会です。小さな子供から大人まで踊り、約4時間にわたり煌めく舞台が演出され、圧巻のバレエ発表会が開かれます。しかも、タダ!

末娘のココロが出演します。バレエを習い始めて10年以上、現在中学2年生になっています。まだまだ子供だと思っているココロがグランパドゥドゥで男の先生と共演します。
チョビットだけ大人びて見えます。楽しみです。



アンナバレエスタジオ、館山にありながらコンクールで東京のライバルに打ち勝ちます。
週5日、遅いと夜11時ごろまでバレエの練習をし、親もレッスンが終わるのをただじっ~と待つ。バレエの先生方、子供たち、そして親たちも頑張ってきました。

そんなアンナバレエスタジオの発表会を、皆さんも観に来てはどうでしょうか。
2023年11月5日(日曜日)午後1時開演、南総文化ホールにて
お待ちしています。


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