~ 理事長のブログ ~

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2022年02月24日(木)

2022年2月16日 母の命日

一番大好きな人、母。
一番尊敬する人、母。
一番いなくてはならない人、母。

人生の最期に、ご主人様、子供たちに「ありがとぅ」と言い
私は「お母さ~ん!」と叫んで死のう。
死ぬことはそれほど怖いものではないです。だって、母に会えるから。

そんな母が亡くなったのは、1997年2月16日。25年前です。
あの日のことは今でも覚えています。
絶対に起きてはいけないことが起きてしまい、短くて長い一日になりました。

日曜日の朝、千倉を出発し母が入院している大学病院へ向かいました。
到着後、母のそばにいたらモニターが突然フラットになり、心臓マッサージ、人工呼吸器装着、心肺蘇生が始まりました。あっという間の処置で、何が起きているのかわかりませんでした。

時間を追うごとに悪化して行き、何が起きているのかわかりませんでした。命を救うためにはイチかバチか開腹しなければわからず、妹の所属する外科教授が日曜日にもかかわらず病院へ来ていただき、手術して下さいました。

開腹したと同時に母の心臓は止まりました。腸の多発梗塞壊死によるものでした。
死に行く母を助けたい一心でいた外科医局員である妹、私に教授は、「気がすんだか。」と優しく言いました。負け戦とわかっていても敢えて納得させるために戦わせてくれたのです。

存在していないことを認めたくない絶対的存在であった母を思い出すたびに涙が出ました。
10年経っても涙で出て言葉が詰まり、母の話をすることを避けました。
20年経っても涙が出てしまいますが、母の思い出話を患者さんと話をすることがあります。

2月16日は、母の命日。25年前、72歳で亡くなったその日のことを忘れません。
それなのに、吟子叔母から「今日はイサヱさんの命日だよ!」と言われて
「アッ!」と驚く私でした。


2022年02月18日(金)

コケッーコッコー

コケッーコッコー、コケッーコッコー、コケッーコッコー。
ニワトリの生活、最高です。目指すはニワトリ。
ニワトリのように生活すれば、健康に生きることができるでしょう。



朝は早起き。太陽が昇り始めたら起きます。
そして、大きな声で「コケッーコッコー!」と声を出す。生きる力の一つが、声の力。
大きな声を出す人には嘘つきはいない、健康な人であり、肺炎が逃げて行きます。

日中はゴソゴソというよりチョコマカと動き回り、忙しく細かい仕事をします。
そして、野菜を中心に粗食を摂ります。ニワトリの肥満を見たことがありません。
チョコマカ動き回り、ナッパ喰え喰えの生活、最高です。

そう、ナッパをたくさん食べよう。
ナッパには4番目の栄養素である食物繊維が豊富に入っています。
腸を掃除してくれますので、便秘の予防になり、大腸がんの予防にもなります。

そして、陽が暮れて夜になれば、ユックリと体を労り睡眠を取ります。
人なので鶏目にはなりませんが、服をパジャマに着替えてナイトモードへ。
お口の中を奇麗にして、サッパリとして入眠します。誤嚥性肺炎の予防のためですね。

ブロイラー方式ではなく、平地で自由奔放に放牧する地鶏方式で生きませう。
ストレスフリーにコケッーコッコーとニワトリの生活、みんなで目指しませう。
日中離床、ゴソゴソ、生き生き、そしてコケッーコッコーと生きれば元気になりますよ。

今週になって、久し振りに糖質制限ダイエットを開始しました。娘のユメと共に。
75Kgあった体重が、5日ほどで目標体重である72Kgに達成。鶏肉と納豆と豆腐、ブロッコリーとキャベツとモヤシなど野菜を食べ、コケッーコッコーの生活をしています。

みなさんも、どうですか。


2022年02月16日(水)

ゴソゴソ

昼間に寝床でゴロゴロすると、知らぬ間に弱り、寝たきり、ボケてしまうことを伝えました。
日本は、風邪をひくと安静にしなさいという国です。それは70歳代までの人。高齢者とは、肺炎で入院した結果要介護状態となる世代。80歳が高齢者の入り口だと私は考えています。

だから、70歳代の昼寝をしている患者さんに、「そろそろ老後に備えて、昼寝の習慣は止めましょう。」と伝えています。弱って来ると、30分の昼寝が1時間に、と思ったら2時間に、そして昼夜逆転の怪しげな世界へ、深夜の徘徊へと突入して行きます。

ならば、どうしたら良いのか。「ゴロゴロではなくゴソゴソ」です。
朝起きたら着替え、「今日、何しようかな。」「今日、何食べようかな。」と考え、ゴソゴソすることが大切です。

人間、教養が大切です。高齢者も、キョウヨウが大切です。
キョウヨウ、今日の用が大切です。歳を取ってくると今日の用が、キョウヨウが無くなって来るそうです。キョウヨウを作って、ゴソゴソ活動することが大切なのでしょう。

ゴソゴソ活動も、自宅内でお勝手仕事をすることも大切ですが、外に出て人とつながることが大切でしょう。散歩をして、知人に挨拶をする。時に挨拶ついでに会話が始まり、笑いが生まれてきます。「ゴソゴソ」から「ニコニコ」へ、そして「生き生き」となるのです。

ゴソゴソ ⇒ ニコニコ ⇒ 生き生き
そのためにも「日中離床」
昼間は着替えて、ベッドから離れる。それだけで、弱りませんよ。


2022年02月14日(月)

ゴロゴロ

日中、寝床でゴロゴロしていると、知らない間に足腰が弱り、転倒骨折して寝たきり状態となってしまいます。また、ゴロゴロとしていると刺激が少ないので、テレビさえも観なくなりボケて行きます。私はこの状態をゴロゴロ病と呼び、ゴロゴロ病は結構厄介な病気です。



ゴロゴロ病は知らない間に進行し、気が付いた時には手遅れになっていることが多いです。治療薬もなく、元気になってもらうためには手間暇、そしてお金がかかってしまいます。
介護保険を用いて、ケアが必要となり、多くの人の助けが必要になります。

そうならないよう弱り行く人に「ゴロゴロしていると弱っちゃうから、起きよう!」と言っても、「ゴロゴロは気持ちが良くて最高!起きろって、わしを殺す気か!」と怒り始めます。
結構厄介です。有難いお節介が、要らんお節介になってしまいやすいです。

ゴロゴロ病に陥ると、楽な方向へラセン状に弱って落ちて行くので介入が難しいです。
ある程度のところまで落ちてしまい、これではマズイと気が付いてくれた時が介入するタイミングかもしれません。要らんお節介が、有難いお節介に変わるタイミングでもあります。

大事なことは、ゴロゴロしないこと、弱らせないことです。
今から5年前、寝たきり老人のいない国、施設がない国、世界一幸せを感じる国、デンマークへ行って来ました。何故、寝たきり老人がいないのかを見に行ったのです。

デンマークの独居老人は、エレベータの付いていないビルの2階、3階、4階に住んでいます。かつて家族で住んでいましたので、寝室、居間、食堂、子供部屋があり、一人で4部屋ある自宅で写真、記念の飾りなど思い出の品に囲まれながら過ごしていました。

たとえ要介護状態となっても、朝になれば着替えて寝室から出てきて、排泄し、朝食を摂り、日中を過ごします。夜は夕食を摂り、パジャマに着替えて、排泄し、寝室へ行き寝ます。
日中いる場所と夜間いる場所を完全に分離しているのです。日中離床の徹底です。

つまり、知らない間に思わず弱ってしまうゴロゴロ病の予防には、昼間は寝室から出て過ごすこと、「日中離床」を守ることが大切だということです。
ゴロゴロ病の予防には、日中離床!ただ、日中離床を守ることだけ。覚えておいて下さい。


2022年02月09日(水)

点滴が天敵

昔は60歳を過ぎてしばらくすると、老衰となり自宅で枯れて亡くなっていました。しかも、苦しまずにです。60代の猛者がいとも簡単に死んでいくのですから、今からすると想像できません。なぜそんな世界があったかというと、点滴をしなかったからだと思います。

一日たったの500mlの点滴をすると約1年いのちが伸びます。点滴をしているようでしていない、チョロッと点滴している250mlを点滴すると約1か月いのちが伸びます。
そして、点滴をしなければいのちは約1週間で途切れます。

水分を補給すれば延命することができますので、点滴は延命処置となります。
水分補給をしないと脱水になり、枯れて、老衰となります。しかも、苦しまない。
逆に、水分を過剰に投与すると、浮腫んで、喉でゴロゴロ言い始め、苦しんでしまいます。

生まれてきた新生児の水分保有量は80%。子供の水分保有率は70%。
大人の水分保有率は60%。高齢者の水分保有率は50%。だんだんとパサパサしてきます。
亡くなる直前の水分保有率は40%。なんと、生まれて来た時の半分になります。

医療が進歩して寿命が延びたのですが、その中でも点滴の貢献が一番大きいと思います。しかし、特に高齢者に対して、点滴で水分を投与するために逆に悪い結果がもたらされる場面に遭遇するようになりました。抑制です。ミトンとチャンピオンベルトを付けさせられます。

点滴は、首につけられた鎖と同じでベッドに横たわり過剰安静となり、足腰も頭も弱くなり、廃用症候群が知らぬ間に進行してきます。死ぬ直前には全身が浮腫んで、顔の形相が変わり、口腔内分泌物が増えてゴロゴロ言い始めて苦しそうに見えます。

いのちを助けるためには水分は大切です。しかし、いのちの最期に水分を投与し過ぎると逆に苦しませることになることを知りました。いのちの最期は脱水になり枯れることも優しいことであると学びました。つまり、人生の最期は、脱水が気持ち良い。

私は、ボケて夢を探し求めて歩き回り、歩けなくなり食べられなくなったら、点滴もせずに潔く空の上に飛んで行こうと思っている。そして、点滴もせずの最期の1週間、ご主人様、子供たちに囲まれながら、「俺の人生は間違いなかった!幸せだった!」と死んでいこう。


2022年02月05日(土)

クイズ昭和物語 byアベちゃん

私を支えてくれる優秀なスタッフの中には、多彩な才能を持っている人がいます。
私の夢の一つは本を書くことだが、すでに私を乗り越えて出版した仲間がいます。
安部満くん、アベちゃん、老人保健施設夢くらぶの看護師である。

アベちゃんが出版した本の題名、「会話に花が咲く クイズ昭和物語」。
脳をリフレッシュするコミュニケーションツールとしてのクイズが満載。
多彩な昭和のクイズで遊んで、青春時代を思い出しましょうと書いてあります。

過去を思い出すことで脳は活性化し、知識の確認することでさらに若返ります。
認知症の予防には、記憶、学習、感情をコントロールする脳の前頭前野を活性化することが大切です。みんなでクイズをすることで盛り上がり、笑いが広がり、元気になるでしょう。

人間が生きて行く上で大切な4つの「L」があると言います。「Life」、「Like」、「Laugh」と「Love」です。この4つの「L」を大切にしながら、昭和のクイズを通して人生の大先輩である高齢者のそれぞれの人生を知ることができます。人生を知ること、ケアの原則です。

アベちゃん、私よりズ~っと若いのに、私よりもズ~っと昭和のことを知っております。
全部で80問×6部門=480問のクイズが準備されています。
よくぞ、これだけの問題を作ったものです。アベちゃんはスゴイ!

アベちゃんは、マジックもするし、ボランティアもするし、看護師としてアドバイザーもしております。いろいろなことに興味を持ち、笑顔が少しでも広がるように工夫をしまくり、とうとう本までも出版してしまいました。スゴイと思う。

介護サービス事業所に必須アイテムとなります。
是非、みなさんも手に取り、みんなでクイズをして盛り上がって下さい。
笑顔が集まれば集まるほど体と頭と心が元気になり、幸せになることができるでしょう。



→ 会話に花が咲く クイズ 昭和物語(Amazon)
→ 会話に花が咲く クイズ 昭和物語(みらいパブリッシング (miraipub.jp))

2022年02月04日(金)

医師になって30年

私が医師になって30年以上が経ちました。早いものです。私が大学を卒業する時は、医学部を卒業したら大学医局に入るのが当たり前。そんな中、私は大学から飛び出して、地域医療を頑張っている市中病院に入職しました。大学から出たのは、同級生では私独りです。

埼玉県三郷市にあるみさと健和病院が、私の医師としてのスタートの場でした。東京と千葉と埼玉が接する所の埼玉にあり、そばに江戸川が流れ、松戸駅が一番近く、東京江戸川区小岩に住んでいました。地域の中で健康講座を開き、在宅医療、予防医療などを行いました。

みさと健和病院は、農村医療で有名な佐久総合病院の都会パターンを目指し、市民とともに創り上げた赤い病院です。まだ新しい病院で、スタッフも市民患者さんも自分たちで創った病院であると誇りを感じ、三浦院長の歓迎会中のバク転を見て、入職すると決断しました。

医師になって始めて看取った患者さんのことを覚えています。でも、これ、看取ったとは言えません。約70歳の金子さんという肺がん末期の男性患者さん。突然呼吸が止まり上級医へ報告したら心臓マッサージが始まり、人工呼吸器管理になりました。そんな時代でした。

病棟では、鼻からチューブの入った高齢者が口をアングリ開け、目がうつろになりながら死んで行っていました。みんな、同じような顔をしていました。病院で死ぬ時代です。
胃ロウという胃袋とお腹の間にトンネルを作る手術がガンガンされる時代でもありました。

研修医1年目から往診をしていましたので、在宅医療経験は30年以上になります。
在宅医療は、医療人としての私のDNAに既に溶け込んでいます。最近は、在宅ケアと言うようにしています。医者中心からチームケアへと移ってきているからです。

「助ける医療」から「助け、支える医療」へ。
助けるのは医師が中心。支える医療は、本人、家族も含め、様々な職種のスタッフが集まり協働するチームケアが大切になります。「無色透明のゴチャマゼケア」と呼び、求めています。

人生90年、もしかすると100年時代
長生きの良いところ悪いところを認識しながら、人生という旅の最期に「幸せだった。」と言ってもらえる社会を創って行きたいと思います。


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