

5月27日(土)、28日(日)の週末、東京駅近くにあるSAPIA TOWERで在宅医療の医歯薬連合の勉強会がありました。
医師と看護師含めた多職種の勉強会はありますが、医師と歯科医師と薬剤師の勉強会は今回が初めてです。
初日は、松永醫院の外来を15分早く吉岡先生にお願いし、千倉を出発しました。
東京駅近くの会場に到着したのは午後1時半、丁度勉強会が始まる時間。
少々汗ばみ、軽くサンドイッチという糖質を車の中で食べたためか、午後一発目の講義は睡眠学習になってしまいました。
「かかりつけ」という言葉を考えてみました。
かかりつけ医、患者さんが健康に不安がある場合に相談を受けて、問題解決に向けて道を作ってあげること。
自分でできる場合には自分で、自分でできない場合には適切なところに紹介をします。
千倉は豊かな選択肢の少なさがありますので、患者さんは私の所へ連絡してきます。
ご飯も食べて重症感が無ければ「また不安になったらいつでも良いから連絡下さい。」と言って様子を診ます。
脳梗塞が疑われれば、血栓溶解療法の適応を考えながら、適切な医療機関へ紹介します。
24時間365日、患者さんのいのちを守らなければならないので大変ですが、やりがいがあります。
患者さんに安心を提供し、無駄な救急要請を減らしていると思います。
田舎で開業しているかかりつけ医としては、当たり前のことですね。
でも、都会では、駅の前のビルにテナントを借りるビル診療所が当たり前です。
開業医は通勤1時間ほどかけて朝8時ごろにオフィスの鍵を開け、夜9時ごろにオフィスの鍵をかけて1時間かけて自宅に帰ります。
つまり、夜は無医村状態となってしまいます。
都会の患者さんも、疾患別、臓器別の診療所を受診しています。
血圧は循環器専門のAクリニック、脂質異常症と糖尿病の気があるから内分泌専門のBクリニック、膝と腰が痛いからC整形外科と。その他にも眼科、耳鼻科などを受診します。
夜に子供が熱を出して心配になっているとき、夜は無医村ですので電話もかけず大きな病院を救急受診しています。
「かかりつけ医、家庭医、それって何ですか?」状態です。
胃の辺りの調子が悪くなって内視鏡検査をしたら進行胃癌が見つかり、余命1年と告げられたとします。
10年以上血圧の薬をもらっていた医師にそのことを告げたら、簡単に「じゃあ、紹介状を書いておきますね・・・。」
と言ってお終りになってしまうかも。
選択肢が多いという貧しさのため、都会でかかりつけ医を持つことは難しいですね。
かかりつけの病院を持つことが現実的でしょうか。
でも、互いに顔がわからないので、温もりのある医療を実践することは難しいでしょう
歯科医師、これはかかりつけの歯医者さんを持つことはできると思います。
子供が小さいときから虫歯の予防、虫歯になれば歯科治療をお願いし、歯科矯正が必要でできなければ紹介をしていただく。
家族のかかりつけの医者を持つことは大切ですね。
薬局、薬剤師、自分のかかりつけ薬局を持つことも大切ですね。
複数の医療機関を受診し、それぞれからたくさんの薬を処方していただいております。
普通はそれぞれの医療機関に併設されている門前薬局で薬をもらうことが多いです。
当然、その中には飲み合わせの悪い薬が処方されている可能性があります。
クスリは上手く服用しないとリスクになりますよね。要注意です。
そこで、かかりつけ薬局を持つことによりリスクを回避し、安全を得ることができます。
また、気軽に健康相談をすることができますし、飲み忘れしないよう一手間、一工夫をしてくれるでしょう。
顔が見える関係は、チョビッと頑張ってしまう関係になるのです。
クスリ手帳、これも大切なもので、これを活用する面白い作戦を知りました。

土曜日の夜、私たち一家は笑顔グループの東京研修所に泊りました。
一生懸命に勉強した後は、都会でカッポレ!
東京の夜を、松永家は徘徊したのでした。


「認知症専門医に勝つ、普通の田舎ヘッポコ二代目の町医者」という題でお話をしました。
1時間チョッとの講演時間だと考えていたところ、50分以内でするよう依頼が来ました。
「わかりました。」と答えながら、予定通り1時間チョッとの話しをさせていただきました。
私、人の話を聞いているようで全く聞いていない人間だと最近気付きました。
自分勝手です。よね。
人と群れることを嫌い、独り勝手に行動することを好みます。
「松永平太」は「松永独太」とも書きます。
お話しした内容は
1.デンマークのこと
2.千倉のこと
3.人生90年 いやいや もしかしたら人生100年
4.日本の非常識
5.QOD(Quality Of Death:満足死)のこと
6.ポックリは最悪、施設は最高じゃない
7.認知症のこと、グループホームのこと
8.笑顔グループのこと
9.人生最期の1%に責任を持つこと
デンマーク高齢者ケアの3原則は、
1.人生の継続性の尊重 2.自己決定の尊重 3.残存能力の活性化
日本では、最期は施設で老いぼれ人生が待ち受け人生を分断し、本人の希望より家族の不安が優先され、至れり尽くせりのケアを提供し要介護度が高まるケアを提供しています。
可笑しな日本。死ぬことを考えていません。
ボケたら最期、死にたい!ポックリ死にたい!と日本国民全員が言っております。
歳をとれば全員ボケます。家族にありがとう!と言えないポックリ、最悪です。
沢山の写真を用いました。
娘達が不眠不休で最期の親孝行をし、QODを達成した瞬間のバアちゃん
自転車で道路を占有し、交通渋滞を起こしたジイちゃん
夜中に夢を探しに街へ出て警察のお世話になること頻回のジイちゃん
許可なき野菜の収穫(野菜泥棒)をするジイちゃん
夜中に夢を探しに出られ、ある家の前で必ずマーキングするバアちゃん
千倉の風景も紹介しました。
そして、私たちが提供している無色透明のゴチャマゼケアをDVDで紹介しました。
私の1時間チョッとのお話し
寝た人いなかったと思います。
泣いてくれた人もいなかったかな。
笑ってくれた人、たくさんいました。
本当に私のお話を聞いてくれてありがとう!





松戸で認知症のお話をしてきました。スライド120枚用いて、気合いの1時間とチョッと。
その帰り、糖質制限で絶対にやってはいけないこと、真夜中の牛丼、またやってしまった。。。
でも、美味かった。やってはいけないことをするほどのスパイスはないです。
みなさん、メガドンという牛丼を知っていますか。並の牛丼が3つほど一緒になった超大盛。
亀田メディカルセンターでの勉強会の帰りに、翌朝の家族の朝食のために鴨川の「すき家」でお土産弁当を買いました。
家に帰り、テレビを見ながらワインを飲み、独り夕食。
途中気絶をしては目が覚め、チョイ食べ、また気絶。これを繰り返します。
翌朝、ネズミが出たのか、空になったメガドンの容器が転がっています。
松戸、同じ千葉なのに遠い。
自動車で向かうためには、アクアラインを通り神奈川へ、そしてスカイツリーを横目に東京を北上し埼玉へ、三郷南インターチェンジを下りて、やっと松戸に戻ってくるという行程。
今回、私が使ったコースは北千住の病院に車を留め、常磐線で隣の駅である松戸まで向かいました。
高速道路も渋滞なく予定よりも1時間早く到着してしまい、北千住マルイのスターバックスでコーヒーを飲み、アキレス腱を伸ばして準備運動をしました。
松戸は在宅先進地域と言われています。私が尊敬している和田先生、川越先生、前田先生、いらはら診療所の苛原先生、大島先生たちが在宅を支えます。在宅医療に医師会長が気合いを入れている地域はやっぱり在宅医療が進みます。松戸医師会長である和座先生もカリスマ性があり、実践力抜群です。中沢行政マンが活躍し、マツモトキヨシもあるでよ。
私の講演会、「ありがとう!」という名のビルの最上階で開かれました。ビックリしました。
雨が降りそうになっていた午後7時、夕食の準備で忙しいときに、晩酌を我慢して聴きに来てくれた暇な人たち、本当にありがとう!
北千住の看護婦さんたち、外来で診ている患者さんの奥さん、千倉の在宅で見ている患者さんの子供たちとお孫さん、そして私が学生時代に家庭教師をしていて現在小児科医になっている○山先生が来て下さって嬉しかったです。それ以外にも千葉県医師会の岡先生、異端児の堂垂先生も来て下さいました。
話した内容は認知症に関して「認知症専門医に勝つ、普通の田舎ヘッポコ二代目の町医者」
という題で、毒を沢山吐きまくりました。後日、その内容を書きますね。


永井友二郎先生、5月8日、98歳で亡くなられました。
「松永先生、あなたは開業医なのだから24時間、365日患者さんのいのちを守りなさい。」
入浴している時に、トイレに入っている時に、旅行している最中に、時間関係なく夜中に呼ばれる私が疲れている時に、永井先生からこの言葉を頂きました。
開業医は、患者さんが困った時に頼られる生業(なりわい)なのだから、不眠不休で24時間365日患者さんのいのちを守るものだ!っという覚悟ができたら、夜中の電話も苦しくなくなり、気持ちが楽になることができました。
人を人間として丸ごと診ようという医療は、総合診療医、プライマリーケア医、家庭医などいろいろ呼ばれています。
その中でも「実地医家」という言葉の響きというか、その言葉の裏にある魂の意味が好きです。
永井先生は、その実地医家の会という開業医の集まりのトップでした。
永井先生は、患者さんから尊敬されていましたが、医師の間でも尊敬されていました。
豊かな人生を送るためには、豊かな人間関係が必要です。
そして、豊かな人間関係があると健康的な人生を送ることができることも教えていただきました。これから、頑張ります。
合掌
二ノ坂保喜(にのさか やすよし)先生、福岡で開業されているホスピスのトップランナーです。
その二ノ坂先生が来房し、5月18日(木)講演していただきました。
世界の流れ、これからの流れを意識したホスピスのことを中心に、バングラディッシュで看護師養成学校開設などの国際医療活動、生命倫理などを紹介していただきました。
その中で頭にこびりついた言葉が、「病院のつとめは、いのちを助け、家に帰すこと」。
たしかに、病院はいのちを助けることに集中するところですが、助かった後の人生を遮断しない医療を配慮すべきであるという二ノ坂先生の言葉に共鳴しました。
二ノ坂先生、「房州は遠いですね」と。時間がない中、羽田空港から亀田総合病院を経由して講演会場である館山まで来ていただいたので時間がかかりました。
羽田空港から直接館山までは車で1時間。羽田から新宿まで行くようなものです。
また、是非、来房して下さい。その時には、鴨川まで高速道路ができています・・・。
そして、亀田メディカルセンターから可愛い研修医が来ました。
松永醫院に来たばかりの時は、顔がノッペリしていました。
地域医療研修が進むにつれ、次第に笑顔が増え、患者さん、周りの人を幸せにさせていました。
目の前の患者さんの10年未来のいのちを守ろうね。
マラソン、3時間半で走るとのこと。早すぎます。医療をやっている暇あるのかな。
スイミングもしていたとのことでトライアスロンへ挑戦。期待しています。
どんな医師になっているのでしょうか。10年後、また、遊びにおいで!


千倉は海岸線に沿って南北に広がる海の街。でも、その深山で年1回の焼き鳥パーティーが今年も開かれました。
日中は真夏日、夕方には涼やかな、真夏の太陽の夕暮れ時に、日本一美味しい焼き鳥と地球一美味しい手料理を愉快な仲間たちと食しました。最幸!
しかも、5月、まだ虫は少なし。
シマダさん、相変わらず美味しい焼き鳥をご馳走様でした。
かつて横浜で肉屋を営み、焼き鳥でガッポリ!
今、何故か千倉、ボランティアで私たちに悦びを与えて下さっています。
水上さん、よく一人でこれだけの手料理を創ることができるとはスゴイ!
お稲荷さん、少しばかりマー油をかけたら旨味倍増!
美味しいもの食べて怒る人いません。
幸せな一時
太陽は真夏の高さですが、空気は涼やか、気持ちの良い風が流れていました。
夕陽を見ながら、美味しいアルコールを飲み、焼きたて熱々の焼き鳥を食し
腹一杯に手創り料理を食べ、愉快な仲間と楽しいお話をしました。
水上さんのご主人、かつてこの会を仕切って頂いておりました。
熊本生まれの正義漢、東京で更生した子ども達の面倒をみていました。
退職後、妻・水上さんの故郷である千倉へ転居し、私たちと出会いました。
シマダさん、秋田出身のヨッパライ正義漢。
やはり、千倉が故郷である妻に導かれ千倉へ転居してきました。
趣味が多彩で、ボランティア大好きな、元肉屋の焼き鳥名人。
いろいろな人生があるのでしょうが、千倉でたまたま出会う偶然。大切にしたいです。
シマダさん、私の娘の結婚式で焼き鳥を焼いて下さいね。
あと20年後でしょうか。シマダさん、100歳を超えてしまいますね。
体は私が守りますので、足腰と頭は自分で守って下さいね。
水上さん、本拠地は千倉だよ。
また、千倉に戻ってきて一緒に仕事をしませう。ね!


本日は母の日、母は20年前に死んだけど私にはたくさんの千倉の母がいます。
私の娘にも、私以上に千倉のオバアちゃんがたくさんいます。


本当は今週末、私は高松で開かれるプライマリーケア連合学会に参加する予定でした。
しかし、宿が取れない、飛行機の予約が取れないため断念しました。
っというか、実は、羽田・高松間の飛行機予約は難しいのですが、成田・高松間のジェットスターというLCC格安航空会社を使うという選択肢を発見したのです。
宿、野宿でもかまわないという覚悟があれば行くのですが、私、歳をとりました。
薬学部を卒業した後に医学部に入り直し、ろくでもない医者になったものが3人います。
一人目が、私です。ろくでもないです。
二人目が、鹿児島の中野一司先生で、東京理科大学薬学部の先輩でもあります。
在宅医療のトップランナーであり、「キュア」とか「ケア」とかを叫んでおります。
三人目が、北海道の村上智彦先生です。白血病で死にました。
中野先生、良くカッポレします。中野先生は、理念を大切にし、理論で独特の世界を作り、それを具現化する実践者です。この6月、ナカノ在宅医療連携拠点センターという医療と介護・福祉の連携拠点センターを開設する予定になっております。
村上先生、まだ会ったことがないです。地域医療のアイドルと言ってよいでしょうか。
私も、そのうちにお会いしたいと願っていました。

村上先生、北海道せたな町でインフルエンザワクチンと肺炎球菌ワクチンを打つと肺炎が減り、医療費が削減すること、予防医療を実践すると医療費が削減することを証明しました。
その結果、日本全国で「65歳???からの肺炎予防」と肺炎球菌ワクチンに助成金が付くようになりました。
その後、財政破綻した夕張に移り、夕張希望の杜という医療法人を立ち上げ、市立病院を閉院し、夕張医療センターという有床診療所と老人保健施設を作りました。そこで、在宅医療を展開し、予防医療を取り入れ、ゼロではなくマイナスから復興したモデルとなる夕張の地域医療を実践したのです。
その後、旭川、岩見沢に活動拠点を移し、ささえる診療所を立ち上げました。
彼は地域医療の異端児、革命家でしょう。
「闘い」と「笑い」と「繋がり」を大切にしてきたのでしょう。
村上智彦先生の遺志は永森克志先生を中心としたささえるクリニックに引き継がれ
村上智彦先生の魂は、心になり、光となり、物語となり100年後に引き継がれるでしょう。
合掌
⇒ ”ささえる医療とささえる介護”(外部リンク)
村上智彦さんの盟友、ささえるクリニック院長、永森克志先生の
フェイスブックから引用させていただきます。
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『村上智彦は強烈な光だった』
まぶしくみんなを照らし、
時にはやけどさせ、
嫌われ、妬まれ、
でも、
その光を求める人も多く、
その光に癒された、力をもらっていた人の多さに、
僕も村上の家族も、うちのスタッフもびっくりしている
そして、感謝しています。
光をうしなった空と大地にも
やっぱり朝は来る
一番近くでずっと光が風になっていくのを見ていた僕が
すべきことを考える
でも、やっぱり、胸が痛い
光のない世界で僕が戦うのか、
ひかりとなるべきか、なれるのか、むりだろう、
もういや、なんとかなる。。
混沌が支配する
でも、答えはわかっている
むらかみがくれたつながりのなかにあることは。。。
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東京医科歯科大学の時に仲の良かった柳澤輝(テル)ちゃん、彼も白血病M4で亡くなりました。
輝ちゃん、歯学部を卒業した後、歯科医師ではなく会社社長として活躍していました。
ゴッツいオッサンでした。でも、とっても優しく、火傷するぐらいに熱い男でした。
白血病、うら若き、美しく、細くて白い少女がなる病気だと思っております。
なのに、ゴッツいオッサンがなるなんて・・・
また、あの世で呑み交わしたいです。
昨日、久しぶりの雨の土曜日、新宿駅の階段で滑って大転倒。
周りのみんなは唖然として、妙に静まりかえっていました。
本日、首が痛い・・・。さあ、これから、気合いを入れてランニング。です。

GWが終りました。私は仕事を休むと仕事がしたくなりますが、休みが長くなり過ぎると仕事が始まるのが・・・Blue Mondayになっちゃいそうです。
5月6日(土)午前中松永醫院の外来、忘れかけていました。
5月7日(日)の夕、いつもの青木屋さんで
「休み過ぎて仕事をやりたくない・・・ってな心にカツを入れて、明日から頑張るぞぉ~!っと気合いが入るワインを下さい。」とオーダーをしたら

心の病による休職期間、世界は約1週間、日本は80日間。10倍以上の開きがあります。
仕事がストレスの原因でないのにもかかわらず、約3ヶ月間休ませる日本の精神科医療っておかしくないですか。
仕事をしていないと暇で暇で、余分なことまで考えてしまうのに。
人間として生きる上で大切なことは、愛する人と仕事を持つことです。
東日本大震災では、その両方が一瞬にして失ってしまいました。辛いです。
仕事は大切です。でも、仕事を休みすぎると仕事ができなくなっちゃう気持ちもわかります。
GW、要注意ですね。
私のご主人様の故郷、浜松です。浜松生まれ、浜松育ち、浜松医科大卒業の浜松だらけです。
そのご主人様、東京のほうへ嫁に行ったと言われ、実は東京を通り越してハワイのほうへ、房総半島先っちょの千倉まで流されてきたのでした。
浜松と千倉、ほぼ同じ緯度、どちらも海に面しており海洋性気候となっております。
浜松、NHK大河ドラマ「おんな城主・直虎」で盛り上がっております。
浜松銘菓「うなぎパイ」、夜の調味料・ガーリックが入っております。
浜松祭りは毎年5月3日~5日の3日間行われ、GWは浜松に行くことが松永家の恒例行事でした。
しかし、この2年間、娘の学校行事のため浜松へ行っておりません。
ご主人様、暇な隙間を見つけては浜松に帰って下さいね。
ということで今年のGW、千倉に留まっておりました。すると、東京のほうからのお客さんがたくさん来ます。
毎日、カッポレ!となります。
甥がガールフレンドを連れてきた時には、鼻血ブゥ~状態でした。
このGWを振り返りたいと思います。
前半のGW、安房高校の同窓会、千倉小学校の奉仕活動、東京へ勉強に行きました。
後半のGW、5月3日~7日の5日間の内3日間は東京との往復をしました。
アクアライン、メチャクチャ混雑しておりました。アクアラインに入るまでの渋滞は、羽田空港を越してその先の大井料金所辺りから始まり、約10kmのアクアライントンネルとその先の金田料金所まで、殺人的渋滞が続いておりました。通過に何時間かかるのでしょうか。
私は、田舎者。ヘソが曲がっております。渋滞は人生の無駄使いとも考えております。
いつも行楽客の交通渋滞を後目に、アクアラインをかっ飛ばしております。
千倉・銀座間をゆったり1時間半で移動します。特急「さざなみ」より早いです。
妹家族が千倉へ来ました。カッポレしました。
東京、神奈川からの可愛い少女、福島からの可愛い少女と我家の娘たちが仲良く遊びました。
千倉を一望することのできる稲荷山へ登り、案内しました。


千倉、南北に海岸が走り、海岸と山に挟まれた街が広がっております。
太陽は、太平洋から昇り、山へと沈んで行きます。日本一の朝日が見えます。
温暖で風光明媚な千倉、勝ち組の田舎として生き残り、未来へ託したいです。


私は、看護師に育てられた数少ない医師です。だから、看護師を尊敬しております。
「あなたは医師でしょ!」ひどいと「あんた、それでも医者なの?」という温かい励ましの言葉で、涙を流しながら育てられました。
看護師なら誰でも知っている川島みどりさんが、看護師のトップでした。
「松永先生、患者さんの側に行っていますか?手を当てていますか?」と訊かれました。
ですので、私は患者さんの側に毎日最低2回行き、手を当て、笑わせました。
川島みどりさん、私が研修医として入職したみさと健和病院の臨床看護学研究所の所長でした。
その後、日本赤十字看護大学の教授になられ、日本のノーベル地域医療賞である若月賞、ナイチンゲール記章受章しております。
看護師が活躍すると、社会は優しくなります。
医師が良かれと思って提供する医療と、患者さん、国民が望んでいる医療との間にミスマッチがあります。
そのミスマッチをつないでくれるプロが、看護師になります。
医療は社会の中にあります。ですので、病院の中だけからでは社会は見えません。
地域に出て行き、地域の人の声を聞き、地域の人と共に未来を創る
それが地域医療でしょう。
今の高齢者、寂しそうに、申し訳なさそうに死んで行っています。
こんなに豊かな社会を、自己犠牲を払いながら作ったのに、それに見合う最後が待っていません。
山の中の病院で、社会、家族から忘れられながら消えて行っています。
人生の大先輩である高齢者、住み慣れた自宅で最期を迎えたいと願っているのに、その思いを叶えられるのは1割もいません!おかしいですよね。
医療が主役になると暴力的になります。医療に依存的になっている社会もおかしいです。
もっと、いのちに寄り添う地域医療をしたいです。
高齢者が自分の人生に満足できる「満足死」を提供したいです。
こまっている人がいれば温かい手をさしのべる優しい地域を作りたいです。
松永醫院での看護師が一人欠員となりました。
笑顔グループ内での異動で賄うこともできるのですが、同志を集めたいです。
心ある看護師、急募! 優しくて、温もりのある地域医療を共に創りませんか!



